日本人の知らない珍しい国々

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まだまだある今はない国

今はもうない国は他にもあります。「もうない国」と聞くとなにか悲しく聞こえますが、これらの国は漫画のように侵略されて滅んだわけではなく、さまざまな理由により分裂や合併が行われ違う国になっただけなので、特に悲観的になることはありません。分裂合併により新たな国として建国されました。

新しく建国された国のほとんどは以前に比べて経済的にも安定しており暮らしやすいですが、国の名前が変わるのは悲しいものです。

このページでは、今はもうない国を少しだけご紹介いします。

ユーゴスラビア連邦共和国

ユーゴスラビア連邦共和国は、1992年から2003年まで存在していたヨーロッパのバルカン半島中部にあった連邦国家です。

もともとは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国としてセルビア、モンテネグロ、クロアチア、スロベニア、マケドニア、コソボ、ボスニア・ヘルツェゴビナの社会主義の7ヶ国で構成されている連邦国家でしたが、民族間の争いで5ヶ国が次々と離脱し、1992年にセルビアとモンテネグロの2ヵ国で建国されました。

この以前のユーゴスラビア社会主義連邦共和国のことを「旧ユーゴスラビア」、以後のユーゴスラビアを「新ユーゴスラビア」と呼びます。

1991年、旧ユーゴスラビアからスロベニアとクロアチアが独立宣言をしたことから、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナも独立をしていきました。

この時に起こったのが、ユーゴスラビア紛争です。このユーゴスラビア紛争でユーゴスラビア内にはたくさんの血が流れました。そのため、この国の歴史は戦争の歴史と言ってもいいほどです。

セルビア共和国内にあるコソボ自治州も1999年独立を宣言。コソボ紛争が勃発し、また多くの血が流れました。その戦争の爪痕は今も銃跡が街のいたるところに残っています。

ユーゴスラビアは、2003年に連邦制を止め、セルビア・モンテネグロという国家連合となり、ここでユーゴスラビアという国名は無くなりました。

現在はモンテネグロが分離し、それぞれが単独の国家となっています。

ちなみに、日本のプロサッカーリーグの名古屋グランパスエイトで選手と監督を務めたドラガン・ストイコビッチ氏は、旧ユーゴスラビア出身で、ユーゴスラビアをワールドカップ出場へと導きました。

チベット

ヒマラヤ山脈の北側に広がり、「世界の屋根」とも呼ばれるチベット高原。ここにラサを都としてチベットがあります。

現在のチベットは中国の自治区となっていますが、以前は独立した国家でした。

チベットは、1912年にダライ・ラマが国際社会に向けて独立を宣言し、イギリスなどの国々もそれを承認していました。しかし1949年に中国国民党を破った中国共産党が中華人民共和国(中国)が建国され、中国がチベットへ圧倒的な戦力で侵攻し、チベットが中国の支配下におかれることになりました。

現在チベットでは、農耕や牧畜をを主産業とし、仏教を信仰した人々が約600万人生活をしています。

トランスヨルダン王国

現在のヨルダンは、以前はトランスヨルダン王国という国でした。トランスヨルダン王国があった地域の地中海一帯は以前はオスマン帝国でしたが、第一次世界大戦で敗退したことにより解体されました。

そしてイギリス領としてパレスチナの一部となっていましたが、1921年にヨルダン川から東側はトランスヨルダン王国、西側がパレスチナとなりました。

その後起こった第二次世界大戦後の1946年に独立し、「トランス」の部分をなくし、現在のヨルダンになりました。

ダホメ王国

ダホメ王国は1600年~1900年まで西アフリカにあった、パーム油と奴隷貿易で栄えた王国で、現在はベナンという国になっています。

ダホメ王国国王だったベハンジン王は19世紀末にフランスの保護領になることに合意しました。しかし、次の国王となったアゴリ・バボ王がフランスとの協定を破棄。

フランスは協定が破棄された為、フランスがダホメ王国へと軍隊を派遣しダホメ戦争が勃発。しかし戦力の差が大きく、ダホメ王国はあえなく征服され王国は滅亡しました。

ダホメ王国が滅亡したあとは、フランス領として植民地となりました。その支配はアフリカの年と呼ばれる1960年まで続き、ダホメ共和国として独立しました。

その後クーデターによる新しい政権が発足。1975年にベナン共和国となり、完全に「ダホメ」の文字が消えました。

ちなみに、在駐日ベナン国大使は、以前テレビ番組にも出て面白いキャラで人気だったゾマホン・ルフィン氏です。

アイレク共和国

アイレク共和国は中米のコスタリカとニカラグアの間に存在した国家で、歴史上国家としての期間が最も短かった国家です。

元々コスタリカ人が住んでいた地域にニカラグア人が住み始めた、コスタリカなのかニカラグアなのかわからない地域でしたが、ニカラグア政府が自然保護のためワニの捕獲を禁止したことから、住民が起こり独立を宣言しアイレク共和国が建国されました。

しかし、住民が独立を宣言したくらいでは国として認められませんし、ニカラグア政府も黙っては見過ごしません。結果、独立から2日後にはニカラグア軍が制圧し、アイレク共和国はその歴史の幕をおろしました。

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